第1回「尊い」サミットに参加してきました
こんにちは、雛瀬夜架です。「どうして私が美術科に!?」(以下「どうびじゅ」)の2巻発売日までいよいよ一週間を切りましたね。楽しみな限りです。みなさんぜひ買いましょう(ダイレクトマーケティング)。
前置きはそのくらいにしておいて、今日は普段の感想と少し趣向を変えて、巷で話題の「尊い」について考えてみようかと思います。
「尊い」サミットの開催に至ったのは、以下の千歳とせさんのツイートがきっかけです。
ブログやってるどうびじゅのオタクせーのっで「尊い」の考察する記事書いてほしい、第一回尊いサミット
— 千歳とせ (@10Ccandy) 2018年4月9日
でもって実際に(ネット上で)開催されたわけですが、いくつかの記事を読んでいて感じたことがありました。自分が普段「尊い」と言っているのはなぜなんだろうか、と思ったわけです。常々周りの意見に流されやすいという自覚があるので、もしかしたら「尊いといわれているから尊い」と感じてしまっているのではないか、中身のない「尊い」を口にしているのではないか、と危機感を抱きました。危機感っていうと大げさですけど、これを機会に自分の感じる「尊い」が何なのかについて少し考えてみるのが良いかなと思い、自分もサミットへ参加することを決めました。
「尊い」を辞書で引いてみた
辞書を引こうと思ったら、最近辞書に触れてなかったことが判明しました。電子辞書の電池が切れてたので、少し前の辞書を引っ張り出してきました。
とうと・い【尊い】(形)
❶高い家柄に属したり高い価値を持っていたりして、容易に近づいたり容易に求めたりはできない様子だ。
❷徳がすぐれていたり崇高な感じや深い感銘を与えるところが有ったりして、重んずべきだ。
我々が普段使っている「尊い」、すなわちここでの考察対象の「尊い」はこのままの意味ではないにしても、高い価値を持っているとか、容易に近づいたりできないとか、深い感銘を与えるところが有るとか、ある程度通ずるところはありそうです。少なくとも、自分が「尊い」と感じているのは、深い感銘を受けているのではないかと推測されます。なんか大げさな感じもしますが。
自分にとっての「尊い」とは?
この記事を描こうと決めて、「尊い」について少しだけ考えていたことがあったりします。自分は「尊い」をよくカップリングに対して使っているような気がする、ということです。どうびじゅに関していえば「桃黄尊い」と思っているわけです。
と思っていたんですが、「from:@Hinase_Yoka 尊い」で検索したらそんなこと言ってないじゃないですか!「桃シャミ尊い」(まちカドまぞく)「麻乃静尊い」(トモダチヅクリ)は言ってましたけど。
で、結局カップリングが尊いってどういうことなのか、ってことを辞書的な意味と照らして考えてみると、
- 高い価値を持っている⇒二つとない、唯一無二
- 容易に近づけない⇒読者だけでなく、作中のキャラであっても近づきがたい
とかそんな感じでしょうか。実際に上で例示したカップリングも、他のキャラが容易には割り込んでいきづらいんじゃないかと思いますし、特殊な境遇でカップリングを形成した(すなわち二つとない)といえるでしょう。さっき挙げた麻乃静についても、作中で以下のように言及されてるので、一つの考え方としてはありなのかなと思います。
まあ・・・中にはシズといるときの表情がいいとか
二人が揃うのが尊いとか言ってる人もいるらしいけど
トモダチヅクリ(2) (芳文社) 著:GAGAGA
「二人が揃うのが尊い」、と言っているのはおそらくファンクラブの人たちでしょうし、やはり近づきがたく遠巻きに見ていることが推測できます。
じゃあ「尊い」はカップリングにしか使えないかと言ったらそんなことはないはずで、どうびじゅ1巻の宣伝文には「女の子の尊さがいっぱい詰まった」とあります。はたしてここで言う「尊さ」とは何なのか。
一言で言えば「尊い」、二言で言えば「とても尊い」というべき作品だと思います。何が尊いかというと、主人公・酒井桃音(表紙中央)と彼女を取り巻く4人の居残り仲間のやり取りや人間関係、関係性の変化とかではないかなと思います。中でも着目すべきは酒井桃音と竹内黄奈子(桃音の頬に!?マークを描いている)の関係性ですが、その他の2人の関係性も描かれています。
女の子同士の尊いやりとりが好きな人にお勧めです!
4コマオブザイヤー2017 「どうして私が美術科に!?」1巻のコメント(雛瀬夜架)
はい、まぎれもなく自分のコメントですね。当時の自分が何を思ってこう書いたのかは分かりませんが、 なんか薄っぺらく見えます。そもそも現時点でカップリング以外について「尊い」を使ったことがほとんどないので、ひとまずどうびじゅの「尊さ」について自分から言えることは、桃音と黄奈子の関係が「尊い」ということだけかな、と思います。(どうびじゅそのものに対して何も感じていないわけではなく、「尊い」ではない感情を抱いている)
「尊い」の安売りはなんだかなぁという話
どうびじゅ2巻の発売が近いこともあって、最近はWebだけでなく誌上でもどうびじゅ2巻の広告を目にするようになりました。そこに書かれているのは「誌上最尊」の4文字。
どうびじゅの宣伝文句としての「尊い」は、1巻から使われてますし、キャッチコピーとして「尊い」の使い勝手がいいということも分かるので、そのこと自体をとやかく言うつもりはないです。自分のほうが良い宣伝文句を書けるかというとそんなこともないので。ただ、ほんとにこれでいいのか。この「尊い」推しで連想したのが、ごちうさの「かわいい」推しです。
ごちうさの単行本の宣伝をきららWebで見ると、「かわいさ」「かわいらしさが止まらない」「すべてがかわいい」と見事なまでにかわいい推しです。ただ、ごちうさがかわいいのは百も承知というか、原作読んでると「かわいいで済ませるのはもったいない」と思うんですよね。どうびじゅについても同じで、「尊い」で済ませてしまっていいのか、と思うわけです。
まとまってないけどまとめ
最後の部分は「尊い」の考察ではないですが、自戒も込めて書いてみました。書きたいことの半分くらいはこれだった気もするので。過去の自分が書いた4コマオブザイヤーのコメントは……殴らないでもらえればと思います(自分で殴るので)。全くもって的外れ、とは思わないですけど、薄っぺらく見えるということは多分時間がないときに書いたんでしょう。
結局のところ「尊い」について部分的にしか切り込めていないですが、ある程度は自分の感情に整理がついたかなと思います。いずれはもう少し広い対象について考察できればと思います。
それではまた。
まちカドまぞく感想(きららキャラット2018年5月号)
おひさです。雛瀬です。
まちカドまぞくの感想をふせったーで呟こうと思ったのですが、読み返してるといろいろ言いたいことが出てきて量が増えそうだったので、ならばいっそブログにしてしまえ、ということでこの記事を書いています。
まだ読んでない人はネタバレにご注意を。
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